未来はキミドリイロ

サイコメトリックアイドルを目指す心理学徒の勉強部屋です。勉強・趣味などについて書いています。

思い出の味を再現するという技術

テレビをかけていたら「決め方TV」という番組で思い出料理人と呼ばれる女性がいるのだという特集をやっていました*1
この女性は,依頼主から思い出の料理の見た目や味を詳細に聞き取り,ときに何度もやりとりを重ねながら,その人の思い出の味を甦らせるのだそうです。
関心したのは,材料を選ぶときにも思い出の味が振る舞われた当時は○○な時代背景だったから,食材はおそらくこうだろうという推理を働かせて料理の味を再現しようとするところです。
放送を見ていて深い知識と専門性を感じ,見た目・味ともに限りなく満点に近いものを提供するという姿勢はプロフェッショナルという言葉がふさわしいでしょう。
甦った思い出の味に思わず涙ぐむ姿などは,不覚にも目頭を熱くさせるものがありました。

これを見ていて,人は記憶をどこまで残すことができるのだろう,特に故人の何を残せるのだろうという疑問が頭に浮かびました。
今日では写真や動画,ボイスレコーダーなどで視覚および聴覚面での保存は容易になりました。
もちろん,いつ何があるかわからないということを常に意識し,いろんな場面を保存しようとしているのかは別問題ですが。
五感のうち残すところは嗅覚,触覚,味覚で,今回の思い出料理人さんは味覚面で故人の記憶を呼び覚ますものだと言えるでしょう。

味覚の保存は意外と難しいもので,古くから調理レシピなんてものがありますがその通りに作っても同じ味にならないとよく聞きます。
例えば,同じレシピで10人の人が肉じゃがを作るよう指示されれば,文字通り十色の肉じゃがができあがることが予想されますし,全く同じ食材を使うという制約を設けても違いは生まれてくるのでしょう。
加えて,料理というのは味覚で認識される味意外にも舌触りや食感のような要素があり,個人的な予想ですがこれらは触覚的な性質を持っているのではないかと思います。
当然においという要素もあるわけなので,浅学の身でこのような表現を使うのは憚られますが,料理という刺激は多感覚なものであると言えるように感じています。

そう考えると,この番組で見た思い出の味の再現というのは,今や直接は観測できない複雑な刺激を知識と非常に高度な技術で再構成する常人離れしたものであるように思われますね。
この記事を書き始めたきっかけは味覚を保存するものづくり,というのができないかという安直なものでしたが,書いているうちに方向性が変わってこんな発散した文章になっています。

私の軽薄な思い付きは記事を執筆しているうちにあっという間に立ち消えてしまいましたが,途中で掲げた疑問である,人は故人の何を残せるのかというのは個人的に重要な問いであると思っています。
そして,この問題に心理学徒,統計学徒として立ち向かっていきたいし,そうすべきであるということを強く意識しました。

以上,思い出料理人のことを忘れたくないということで書き始めた雑記でした。

*1:2016年3月14日OAの,第23回だと思います。